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2008.08.24

花火資料館

両国花火資料館
息子の自由研究テーマは「花火」。ということで、短絡的ではありますが、まずは「聞いてくる」ということから、墨田区両国にある両国花火資料館へ行ってきました。

打ち上げ筒をかたどっている靖国通りが両国橋を渡ると京葉道路に変わるそのすぐそばのビルの奥まったところに、小さな資料館がありました。中には係の年配男性が一人いらっしゃいました。その時は私達だけだったのですが、ほどなく3組の親子連れが入ってきたのでにぎやかに。

館内係のおじさんも一生懸命説明してくださいました。
まず基本的な花火の歴史は「隅田川の花火大会」が中心でした。
江戸時代から、と漠然と思っていたこの行事、実は八代将軍吉宗の時代の享保の大飢饉と疫病大流行の翌年に行われた「川開き」が元になっているのだとか。当時は20発ほどの、花も開かない単なる打ち上げものであったそうです。
現在のような華やかな色のある花火ができたのは明治になってから。
鎖国が解かれ、海外から様々な化学薬品が入ってきてからなのだそうです。
たとえば赤い色はストロンチウム、淡い青色はリン酸イオンの反応、というような感じなので、それらの火薬が作られる技術を持つようになってから広まったということです。

花火の種類と模型打ち上げ花火は「玉」と呼ばれる火薬が詰まった和紙でできた球状の物を打ち上げ筒に入れ、筒内にも入っている火薬の爆発で打ち上がり、空中で爆発する仕組みです。
玉の中には花火の光る元になる「星」という火薬の玉が敷き詰められ、内部で爆発するための火薬(割り火薬)で隙間を埋めます。この敷き詰め方は花火職人さんたちのまさに職人技ということなのだそうです。
その職人技の一つが玉の内側に星や割り火薬を敷き詰める際に別の層の星を詰めるために間断紙を敷くのですが、その敷き方も上手にしないといけないのだそうです。

そして玉を作る和紙は着火してから爆発するまでの時間などを計算して幾重にも貼られていきます。
これも「玉皮」と言って決まりがあるそうです。

花火を作るのは冬の間だということも勉強しました。

20号玉2尺大きさもいろいろ。
3号サイズから大きな物は30号まで。30号ともなると、打ち上げの高さ600m、花が開く直径も約600mなのだそうです。隅田川の花火大会は、川幅などの消防法の制約があり(「保安距離」といいます)、5号まで(第2会場は2.5号まで)しか打ち上げられないのだとか。
東京湾の花火大会ならもう少し大きいのも見られるでしょうけれど、もしもっと大きな20号や30号を見たかったら、長岡や大曲の花火大会に行くしかなさそうですね。

旧式の打ち上げ筒花火が美しく打ち上がるには、そんな花火の玉作りだけでなく、打ち上げ方法・技術の発達も見逃せません。打ち上げ筒に玉を仕込み、予め筒に仕込んでいた火薬に点火し、飛び出させ、空中で花開くようにする、ということは簡単なようで大変な技術が要ることだと思います。
係のおじさんも「打ち上げ失敗で昔は多くの犠牲があった」とおっしゃっていました。
命懸けの中でこんなにも発達し、日本の打ち上げ花火の美しさは世界一だといえるほどになっていったのは職人さん達の日頃の努力と研究の賜物なのでしょう。
現在は単発で打ち上げるだけではなく「スターマイン」と言われる筒を組み合わせて次々と打ち上げる方法が主流となっているようです。こちらは先日見て感動した府中の競馬場での花火大会のように音楽に合わせて発射できるように電気点火と呼ばれる方法を用いプログラムされたものなのだそうです。
こういうのは現代的ですが、どんな打ち上げ方法にせよ、人を感動させる花火は花火職人さんと演出する人の技術とセンスが上手く融合しなければならないでしょう。

実際に使われた玉展示されている花火の模型の横に少し焼け焦げた玉がいくつか飾られていたのですが、それはこの花火資料館の説明をしてくださるおじさん達が、隅田川の花火大会の終わった直後の夜中から朝方にかけて、落ちているものを一生懸命集めてきたものなのだそうです。
打ちあがった花火の玉は開いた後、川に落ちていきますが、風向きによっては地面に落ちてきます。
ほとんどは大勢の花火見物客に踏みつけられてしまうのですが、運良くそのままの形を残しているものがあるのだとかで、おじさん達は必死になって捜し歩くのだそうです。
展示しているものは、もちろん丸いまま残っているということはないので、半分ずつになった玉を同じ大きさで似たものを集めるのです。
翌朝行っても地元の子供達に持って行かれてしまうから、夜中に行くんですよ、とおじさんは微笑んでくれました。

手書きの火ビラ
資料として興味深かったのは手書きのビラ「火ビラ」です。
写真が残っているのですが、印刷されたポスターではなく、1枚1枚大きく墨で筆書きしていくものです。
資料館の説明文によると「最初の1枚の墨がにじむと雨が降る」と言われていたようです。
風情ある資料だと感心して見入ってしまいました。

両国橋
帰りは、両国橋をちょっと見てきました。
昔はここで二つの国(武蔵国と下総国)が分かれていたため両国と呼ばれていたのだそうです。
それで道の名前も靖国通りと京葉道路に変わるのかもしれませんね。

さて、花火の研究は一応ここまで。
この後、子供達と素直に帰らず浅草まで足を伸ばしましたが、それはまた別のエントリで。

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