宮崎駿監督作品「崖の上のポニョ」(以下ポニョ)を観てきました。
朝一番のシネコンに上映40分前に行ったら、上映時間が9:15からだというのに営業開始が9:00で、しばらく待ちました。最初20人くらいの列だったのが、みるみるうちに後ろに100人近く並んだので「あらーこれは大変!」と思ったのですけれど、多くの家族連れが「ポケモン」目当てだったので(^_^;、500席もある大きなスクリーンに30人もいないお客さんの入りですっかすかでした。
アニメーションとしてはスタジオジブリならではの動きの美しさ、保田道世さんの色設計、作画監督の近藤勝也さんと美術監督の吉田昇さんの仕事ぶりが際立っていたと思います。
宮崎駿さんの心の中にある世界をうまく表現するというのは「他人」なのによくできるものだなぁと思うので。
ストーリーはあれこれ考えちゃダメなんだろうな、と思うものでした。
聞きたいことがいっぱいありすぎました。「あれはどうなるの?これは?それって?」
それからこういうストーリーは女性には書けないなぁと思いました。
男性が思う女性像・母親像、そして父親像のようなものを感じました。
NHKで8月頭に放送した宮崎駿氏のドキュメントでも母親への追慕のようなものがヒントとしてあるというようなことを言っていましたが、そういうことが大きく映画の中にあると思います。
それと宣伝の上手さ、なのかな。
ポニョのあの歌「崖の上のポニョ」のさわりの部分をこれでもかこれでもかと流して「電波ソング」とまで言わしめるほどにしたことで、ポニョが何をしでかすのだろう~という大きな期待を持たせることに成功しています。
でも私は映画を観た後、あの宣伝はあまりしないほうが良かったように思いました。
テレビ局がバックアップするのだから仕方ない戦略なのでしょうが、あの歌を何度も何度も聴いたことで妙な期待感を持ってしまい、映画のラストに流れることは違和感を持ちました。
企画段階では映画の冒頭に持って行くように考えられていて、途中で映画館を出るときに子供達がこの主題歌を口ずさんでほしいという願いから最後に流すよう変更されたと聞いていますが、あれだけの電波ソング状態にCMやTV特番でしてしまったのだから、企画当初のように映画冒頭に流し、その後は映画のお話の中に全てを引き込んでほしかったと思います。
そのほうがポニョが「人間になりたい」と願い「家出する」という前途を持った気持ちがより強く表現されたのではないかと思うからです。
宮崎監督は「パンダコパンダ」2作品が全てであるような気がして仕方がありません。
「パンダコパンダ」はトトロの原型であるということは良く指摘されています。
今回のポニョは続編の「パンダコパンダ・雨ふりサーカス」に似ています。ストーリーの一部分・アイディアがそっくりです。
一人の人間が作り出す物語というのはさほど多彩にはならないのではないでしょうか。
もし叶うなら、ポニョの父親であるフジモトがなぜ人間であることを捨て(とは言っても人魚のようには暮らせず空気の玉の中で呼吸をしている)、海の住人となり、グランマンマーレと出逢ったのか、そのストーリーを映画化してほしいです。
追記
ネットでは色々な人の感想・批評を読むことができます。
そんな中よくまとまっていると思うものを二つご紹介します。
竹熊健太郎さん(編集家)
たけくまメモ「宮崎駿のアヴァンギャルドな悪夢」
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_fb6c.html
このエントリー以下2回目を観て来た、というものや「カンフーパンダ」と共に評論した一連の論評があります。
前田有一さん(映画批評家)
超映画批評『崖の上のポニョ』55点(100点満点中)
http://movie.maeda-y.com/movie/01143.htm
そうそう、そんなふうに言いたかったんだーと共感するところがたくさんありました。
点数を付けることは私にはできませんが、そんな感じです。
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